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Posted by RRD ◇3MranranlY - 2008.04.05,Sat
静岡東映で18:00の回。
客5人。5人か!静岡まつりがあったとはいえ、5人とは!
T-JOYが劇場を確保しようと東映と組んで共同配給したのはいいけど、その結果がこれ。東映と組んだってどうにもならんっつーの。アカデミー外国語映画賞ノミネートという話題性があっても、なんのプロモーションもないから誰も知らずにひそかに公開された感じ。

チンギス・ハン伝説を基にして、いろんなことを盛り込みすぎ、はしょり過ぎ。それなりに作ってはあるんだけど、それなり以上のなにものでもない。それなり以下のなにものでもないけど。

俺にとってモンゴルっつーと、相撲と「スーホと白い馬」と上林愛貴なんだけど、その程度の認識なら浅野忠信で全然違和感がないし。
浅野チンギスの妻を演じた新人のクーラン・チュランがまた実にいい。顔が平ぺったくて、目が細い。韓英恵の目に匹敵する強い一重がどうにも印象に残る。何もしないくせに存在感だけは人一倍。

臥薪嘗胆からの復活劇はそこに焦点をあわせれば爽快感を伴った感情移入のしやすい時代劇にもなったんだろうけど。
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Posted by RRD ◇3MranranlY - 2008.04.02,Wed
静岡シネギャラリー左側で14:40の回。客入りは30人ほど。

今年になってからシネギャラリーで車椅子に乗って鑑賞する人とよく会う。車椅子から器用に最前列に乗り移るんだけど、車椅子のほうが楽なようで、予告編が始まって列の端が空いてたら車椅子に乗り移って通路に移動してる。機会があったら列の端の席を譲ってあげてください。

それはさておき、この映画は名編集者として好きに生きていたプレイボーイが脳梗塞に倒れ、左まぶた以外、全身不随になりながらも本を執筆するために命の灯を燃やす話。これが実話だっつーから驚く。

とはいえ全編感動のヒューマンストーリーってわけでもない。微妙に笑わせる場面も多い。時に良識のある人は笑っていいものか迷ってしまうかもしれない。
でも大丈夫。俺も笑ったし、車椅子のおっちゃんも全部笑ってたから。

確かに全身麻痺ってのは極端な例だけど、誰しもがなにかに縛られて、なんでそんなことが出来ないの?って思われるようなことが出来ずに悲喜こもごもあるわけで。それが他人から見たら滑稽だったりしても仕方がない。
必死なときに笑われたらカチンとも来るけど、本人すら笑っちゃうような場面なら笑っちゃえばいいんだよ。

また米仏合作となったことが落ち着きのいい居心地を醸している。音楽でもU2みたいのが案外とマッチしてた。
あと音響と演出もすばらしくて、最前列という位置がたまたまそうだったのかもしれないけど、モノローグの声が真横から出てきて、なおかつ主人公の視点で撮影されているから遊園地のアトラクションのようなヴァーチャルリアリティとも言うべき疑似体験の世界が広がっていた。

私ことながら、俺は物書きを目指していた時期があった。このブログだってその延長の未練という見方も出来る。
でもさー、全身麻痺になって、俺には記憶と想像力がある、と言い切れる強さはないよ。身動きできない自らの状況を「潜水服」になぞらえるセンスも、数万回の瞬きで書き上げる根気も、なにもない。完璧に打ちのめされた。
Posted by RRD ◇3MranranlY - 2008.03.25,Tue

3月25日、静岡ミラノ1で19:50の回。客入りは7人。

もっと不思議な質感のオシャレ~な感じを期待したのが悪いのか、ノラ・ジョーンズの音楽がもっとかかることを期待したのが悪いのか?
あるいはニューヨークを旅立ってはるか遠くに来ました、というアメリカの広さを俺が知らないからなのかもしれない。車にこだわるあたりもアメリカ的ななにかの意味があるのだろうか。
アメリカっぽいものは好きなんだけど、俺にとってアメリカっぽいものって、日本では高級店のスターバックスだったりする。そういう理解の浅さゆえに、なんだろ感が残ってしまった。




Posted by RRD ◇3MranranlY - 2008.03.25,Tue
「”生か死か”の先にあるものを見よ」

3月25日 シネギャラリー右側で14:40の回。
アカデミー賞効果で30人ほどの入り。

ここのところ、俺が見たドイツ映画は良作が続いているので期待していた。
ユダヤ人の贋札作りのプロがナチスの強制収容所で贋札作りに携わる。出来のいい贋札を作れなければ銃殺、しかし贋札を作れば連合国の経済が混乱し、ナチス支配が続いてしまう。

DEAD or ALIVE。生か死か。映画のフレーズとしてもよく聞くこの言葉が使われるのは生死が確定していない状況。見据えているのは生死の決まるその場面。
しかしこの映画では生であろうが死であろうが、そこにあるのは絶望であることだけが確定している世界が描かれている。生きていればどうにかなるのか、死して残るものがあるのか、見据えているのは生死の先だ。

これは歴史上の場面での葛藤した選択の物語ではなく、葛藤して得た選択と葛藤して得た選択との間の葛藤の物語である。しかもその両者は明らかに力関係が対等ではない。これが対等であったなら、必死にそれぞれの選択にしがみついたところだろう。このバランスの悪さが葛藤する人間の姿を引き出していた。

もうひとつ、最近ビジネス書でリーダー論とか人心掌握術みたいな本が売れてるのが目に付くし、労務管理のセミナーみたいのが盛んだけど、その小手先のテクニックの末路が少佐の座りションベンだったりするわけで。
程度の差こそあれ、強制収容所の贋札工場の根本的な構造は、不況下の資本主義社会そのものだったり。
Posted by RRD ◇3MranranlY - 2008.03.17,Mon
シネギャラリー右側で12:30の回。
猫が結構出てたので満足。
合間合間に路地裏に住む猫が描かれてて、凛として必死に自分の幸せを求める野良猫の姿に登場人物が反映されているように見えた。大人はそれでいいけど、一人で生きられない子供はそうじゃない。だから治子が主人公でタイトルが「子猫の涙」。子猫が死んだときに栄治は泣いたのは前妻と復縁できないからでも子猫が死んだからでもなく、子猫を通じて治子と和則を思ったからなんだろう。

コテコテのエピソードの割りに演出がさっぱりしていて、森岡栄治という人物の味が薄口のダシで引き立てられているような感じ。もっと面白おかしくも作れる話だけど、余韻が残る分、本作のような形でよかったと思う。

あと、広末涼子も宝生舞も年をとったね。特に宝生舞。ただ年食っただけって感じ。
それに対して広末涼子は幅が広がったと思う。現在の場面の年齢設定は40代後半くらい?そりゃ無理あるけど、でもその年輪をそれなりの表情で演じていた。吉永小百合が演じる20歳のギャップよりはよく出来ていた。
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